豊烈神社
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お祭り
毎年10月6日
水野藩初代藩主 水野忠元公命日
■豊烈神社の神輿
 豊烈神社の神輿は、昭和3年昭和天皇の御大典記念として、山形在在住の仏具師の会(蓮傑会)が作成したもので、下台が特製の三重台で、下段が賽銭受台になっているのが特徴である。昔は、大麻・社旗・五色旗・鉾・天狗・おかめお神楽・神輿の順で行列を組み、白装束をつけた若者15・6人が交代で静かに担ぎ、宮司が人力車に乗って神輿の後ろを伺い伺候した。昭和35年頃から担ぐ人が少なくなり、リヤカーに載せて巡幸したが自動車が急増し道路事情も悪くなり、昭和42年から中断せざるを得なくなった。昭和61年、神輿復活の機運が起こり、神輿をトラックに載せ、19年ぶりに神輿渡御が復活した。平成元年、山形市政100周年「神輿パレード」に豐烈神社の神輿も参加したのがきっかけとなり、豐烈神輿会が結成され、平成元年の例大祭から担ぎ神輿が巡幸するようになった。
御神輿
■子供みこし
 子供みこしも以前からあったが大人神輿と同様中断していました。子供みこしも大人の神輿と同様復旧することになり、平成2年から巡幸するようになった。神社区域内を4つのコ-スに分けて、大人みこしの通れない小路も隈なく巡幸し役員のほかに父兄の方も一緒になって随行し、子供にとっても良い思い出となり、良い教化活動にもなる。子供みこしの参加者は当時約350人位である。
■神輿渡御
 豊烈神社の氏子区域は非常に広いので、神社から遠い地区は車載渡御、神社の近くは、担ぎ渡御、と分けて渡御している。平日でも他の神社から大勢の方が担ぎ手として参加していただいて、総勢200人になることもあります。高齢の方は自宅前で神輿を待ち、熱心にお参りする姿が数多く見られます。
■豊烈神社の宮司
名誉宮司 水野重弥
【名誉宮司】水野 重弥
斎藤博樹
【現宮司】斎藤 博輝
■責任役員
 小澤顕一、植松秀吉、鈴木章英、渡邉辰也
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